昭和53年10月09日  朝の御理解



 御理解  第52節 
 「信心する者は驚いてはならぬ。これから後、どの様な大きなことが出来て来ても、少しも驚くことはならぬぞ。」

 起きてくる一切のことが神愛の現れであり、私にかけられる神様の御神願の姿だと言う風に、ここではとれますから、そのことがいよいよ本当に分かったら、どんな場合でも驚かんで済むし、どんな場合でもそれを合掌して受けることが出来る訳なんですけれど、なかなか以て分っておるだけではいけません。やっぱり、所謂不動の信念と云うか、いわば力を受けなければならないということ。
  昨日、鞍手の柴田さんから電話がかかってまいりました。今度御本部で、もう本当にもったいない有り難いことばかりをいろいろ頂いて、そのことのお届けが電話でございましたが、その中に、合楽の親先生を、神様は、八大力観音と頂いたと言うんですね。そんな観音様がござるかどうか知らんけれども、八大力観音と。大力ということ、やはり、力ということだろうと思うんですね。
 ですからね、結局一切が神愛だ、ご神願だと、例えば分からせて頂いても、日頃の信心がです、いわゆる実意丁寧神信心が、日頃出来ておらなければ、力はつかんと思うんですね。受けられないと思うですね。驚くなとおっしゃっても、これが驚かずにおらりょうか、というようなことになって来るんじゃないでしょうか。分かっただけでは、だからいかん。本当に、日々の信心修行によって、それが力になるおかげを頂かなければいけん。本当に、この実意丁寧神信心と云うのは、本当に出来なければいけない。
  昨日は、私が久留米の酒屋の番頭に行っとりました、私の先輩であります、大変良い人でしたが、ここの中村さんとか、福島さんあたりは親戚になる、私とも二従兄弟(ふたいとこ)になるんです。甘木に居ると言うことを聞いとりましたけれども、もうそれこそ、四十数年振りに会ったんです。昨日たまたま、ちょうどお昼ちょっと前ぐらいに、訪ねて参りました。それがどう言う様な事で訪ねて来たかというと、いわゆる私が勤めておった、彼が勤めておった荘島に、「判光屋」という酒屋があります。
 福岡に、久留米に、軒もあります。その矢次さんなんかは、「東はんこや」に、私と同じぐらいに勤めておられた方。私は荘島の所謂「判光屋本店」という店に、七年間勤めたんですけども。林田茂といいます。もう頭が良くてお商売が上手で、もう字が上手で、もう実に如才のない人で、いつも忘れたことはないのです。昨日突然訪ねて参りましてね。それが、どのようなことかというと、最近、その荘島のね、そのおばさんやら、おっつぁんやらの夢をちょいちょい見ると。
 おばさんおっつぁんといいよりましたからね。大将のことをおっつぁん。奥さんのことをおばさんという。それでそのお墓に一辺お参りしたいと思うけれども「あんたが知ってだにおらんだろうか」というて、参って来たんです。私も引き上げて帰って参りまして、荘島もあのように焼け野が原になりましたから、どこに行っとるやら分りません。それで私が今本町六丁目の「峰」という酒屋が、北京時代の酒屋友達同志ですから、あちらへ行ったら荘島の「判光屋」さんは私方の近所に移ってきておるですよというて。
  あれからすぐ西の方へ入ったところに、はあ私も心探しに探しよったけれども、どこにおってや分らんからというから、私もその足でところを尋ねましたら、もう本当に見るかげもないような、小さなお家で、醤油屋をしておられました。酒屋の権利は、あそこ、六つ門ですかね、「泉屋」という酒屋に譲ったということ、そしてぼちぼち商売をしておられる。それからお墓も、その先の二つ橋というところがあります。それを真っ直ぐに参りますとね、その二つ橋のすぐ手前にお墓があることを知っとりましたからお参りを一、二回ぐらい参りました。
 ところがもう、終戦直後参りましたら、もうそれこそ見事な墓が、石橋家の墓が出来とりましたけども、もう傾いて倒れたり崩れたりしておる。誰も構い手がないという感じでした。だから、そんな訳で知っとりましたから、なら私が知っとるけん、私が案内しようと云うて、ここで食事ともあげて、それからすぐ久留米に参りまして、もう全然様相が変ってますからね。今までこんなところには家がなかったところに家があったりして、もうようやく探し当てて、この辺じゃったろうというところへ、この奥に確かに墓があるでしょうというから、あると云うから行ってみたら、もうその墓がないんです。
 確かにここにあったがという。それからすぐ近所に遠い親戚の方が、そこの近所に、また石橋さんという方がおられましたが、そこも立派なお家になって尋ねた人が、私が知っておるという人の曾孫の人。私の方のひいじいが石橋芳次郎といいよった。ちょっとお位牌さんば見てみようというてから、曾孫の方がおられましてね。それから、まあちょっと上がって下さいというから上がって。
 私共の子供の時にありましたち。所謂もう三十年前ですね。終戦直後のこと。「あそこでよういつでん遊びよった時、あったばってんか、もうあそこは誰も居んなさらんですから、お墓は崩れてしもうたから、何しとりますよ」という。それからいろいろ尋ねよったら、当時のことを、林田さんが、いろいろ根掘り葉掘り聞くんですよ。だからもうここで私が、もう拝んで帰ろうかと。
 いえもちっと調べて見ようというわけで調べるんです。それから、そこの先にお寺さんがあるから、お寺さんが大体、安武というところにあるんですけども、「すぐそこにあるけん、ここの墓が片付く時に、何かあそこさん、持って行かしゃったと云う訳を聞いとるけん、あそこに聞いてみなさったら判るだろう」とこう云う訳です。そしてらそこに、何々というお寺さんが、まあ小さなお寺がありましたが、そこにはもう、そこの住職は居られなくて、管理人の方が居られましてね。
 そして「そりゃあ、ありますよ」と。「うちの納骨堂に納まっておられます。そしてそこの墓は、私の、ここに持ってきとります」というて、納骨堂の前に立派な忠霊塔が出来とります。楢橋さんか何かに書いてもらった。それが石橋さんの、私が知っておる一人娘がおられましたが、北京に私共が行ってから、すぐこちらへみえて、そして都合が悪くして、こちらへ帰って暫く北野で、保険の何か出張所のようなのが、秋山さん方の近所にあったんです。
 そこに主人になる、やはり大坪という、私と同じ大坪というんです。そこに勤めておる。そして後で椛目時代に、人が助かるようになってからでしたが、見えたことがあって、その後に何か、夫婦別れをしたという話で、もう荘島の「判光屋」は、どこに誰がどうしておるやら分からないということになっておったんです。ところが林田さんが、根掘り葉掘り調べてから、まずそのお寺さんに行って見よう、お寺さんで台帳を見せて貰おう、といろいろしよったら、そこの中にやっぱり納骨堂に納めてあって、そしてこれがこの忠霊塔が石橋さんの墓を崩して、ここの削ってね、忠霊塔が出来た。
 それが娘さんが、去年お墓参りにきなさったと。神戸かどっかに居んなさる、というようなことまで分かって、それからまた調べて、いろいろ頂いたら、神戸のどこどこに居んなさるということも一人だけ、私その娘さんじゃった人が居ることが分かったんです。もう私、とにかく実意丁寧神信心ということの一念を、まあ昨日分からせて頂いたような気がいたしましたね。
 どうもその何様か、霊友会か何か信心しよるごたる風です。納骨堂へ行ったら、お線香はちゃんと持って行っとるし、お花も畑から採ってきて、お花をあげてそして私にも一緒にお線香をあげてと、こういうわけです。それで私もちょっとお礼をさせて頂いて、自分は長々とお経をあげてね。いわゆる、自分が酒屋の番頭に行っとった頃の主人の家なんです。本当にまあ、今の番頭さん気質ちゅうか、小僧さん気質というものと、私どんの時代のと、大変な違いなもんだなと思いますね。
 何十年、もう私と会うたのが四十年(振り)ですから、彼の場合は五十年前のこと。今が七十一、二でしょう。それが、最近、夢を見たからと云うて、恐らくよその御霊様やらを救うとか、助けるとかするとそれもお導きのようになって、それで徳を受けるといった様な仏教があるんです。霊友会なんかがそうなんです。だから徹底してですね、もしあれが私ならば、もうお墓は崩れてしもうて無いから、そこでそれならお礼して帰ろうかと云うたら、「いえ、ちょっと待たんの、ならちょっと尋ねてみよう」と。
 そしてもういろいろと調べ尋ねて、もうとにかく二時間近くかかりました、調べるだけで。それからお寺さんに参りまして、お寺さんでまたお水をあげたり、お花を上げたり線香を上げたり、お経をあげたりする間、私は待たせて頂いたけれども、私は金光様の御信心は、ここが足らんと思いましたね。この執念の様なものです。一人の人を導こうと云うたらもう、例えば断られたら神乍ら(かんながら)で終わらせてしまうわけですね。合楽の人はそれが強いです。
 ところが彼は、もう幾つも手前でここから拝んで帰ろうというぐらいで済むところを、親戚の家へ行って尋ねたり。それも遠い親戚ですから、もう私どもが知っとった時代の人は居りもしません。その曾孫にあたる人が居るぐらいのことで、そこでいろいろお尋ね求めして、違うお寺さんにそれをつきとめて、そしてそれを、お経を上げたり、お線香を上げたり、お花を上げたりする様子を見せて頂き乍らね、本当に、金光様の信心をする者は、此の辺のところが欠げてあるなあと思うたですね。
 やはり実意丁寧神信心とは、執念の事だと言われるようにですね、そこが足らんです。だからそういう信心をして、例えば霊様を導くと言うか、例えば、合楽示現活動というならば、そりゃ恐らく、自分がおかげを頂きたいために、自分のもう、四十五になられるその娘さんが、終戦直後に家出をして一人だけ、四人か五人か子供が居る中に、まだ音信不通。どこに参って尋ねても、十里四方内に居るということを言われるから、まだあきらめとらんと。
 だからあんたら、神さんにお尋ねして貰えんじゃろうかというから、お尋ねとか、そういうことでは、私には分からんけれどもね、信心の違いということをいろいろ話したことでしたけれどもね。そういう様な難儀を一つ持っておりますものですから、いうなれば見知らぬ仏さんでも助けたい。もう、縁のある限りの御霊様を拝んで回ったりするということで徳を受けると言った様な教えを受けているらしいのです。でなかったら、余りにも執念深うですね、いうならば。
 けどもそれを執念深うと言わずに、「ははぁこれが実意丁寧神信心だな」と、こう思いましたですね。つきとめていよいよ判った。そしてその石橋家の人が一人、娘さんというても五十近い人ですけども、その人が神戸に居ると言う事までもつきとめた。それでその住所を聞いてむこうも手紙を出すというてから、いうておりましたが。私はねここで本当に、ここまで来たばってん居んなさらんじゃったけん、もう亡くなっとったから、もう神乍らじゃろうと思うて帰ってきた。これが合楽の信心だと思うですね。
 だからやっぱり実意丁寧神信心とは、一つのお導きならお導きでも、そういう一つの執念のようなものを持っておらなければ、実意丁寧にはならない。そういう信心させて頂いて、初めて私は、驚かんで済むというか、信念と云ったようなものは出来てくる、そこから生まれてくる体験が積み上げられて、驚かんで済むおかげを頂いていくという風に思うんです。そしてまた私が驚いたことには、幹三郎が一緒について来とりましたから、ちょいと今朝から鞍手から電話が掛かって来た八大力観音というのがね。
 そこにはね五大力観音ちゅうのがあったです「面白かのう」というてから、何かの一つの繋がりと言った様なものを感じましたですね。私は八大力観音と言う事を電話で聞かせて頂いたら、そのお寺さんに別の小さいお堂があって、そこに五大力観音という観音様が居られました。結局ね三大力でも良い、五大力でも良い八大力なら尚更有り難いことでしょうけれども、そういう大きな力を受けなければ、私は驚かんで済むと言う事はない。驚かんで済むためには、私共がいよいよ実意丁寧神信心を貫かなければ駄目だ。
 お導きをするんでも、断られたら、ならまたというて、ね。お導きをするということによって徳を受ける。ならその林田さん達の場合なんかは、そういう見も知らん仏さんでも拝んで助ける。また五十年も昔に、自分が番頭をしとったところの、いうなら家族の方達の御霊様をお救いするという気持ちでしようきっと。それでもうそれこそ墓がなくなってしまって分からんところを、やはり尋ね求めして二時間もかかって、二時間以上でしたろう、かかってから、それをつきとめて、判ったと。
 そしてそこに墓の石というものが全部利用されて、忠魂塔が出来とるということまで判った。大変喜んで帰りましたけれどもですね。 その一つの、自分たちは、実意とか何とかという風には思ってないけど、金光教で言えば、そういう信心を、実意丁寧神信心というのじゃなかろうかと思う、ね。あくまで諦めない、いよいよのところまでつきとめて行こうという、そういう信心からでなければ、私は力は受けられない様に思う。お互いこれはもう、特に合楽に欠けておることだなあと思うたです。
 もうとにかく、お墓に行ったらお墓が何もない。ならそこで、仕様がないけん拝んで帰ろう、と云うところまでで終わるのではないだろうか。それこそやはり、執念ですね。わざわざ甘木に林田さんは居りますが、そこからそれもここへ来て、それが判るとも思わなかったでしょうけれども、私がたまたま、私自身も七年間もお世話になったお家ですから、判ったから挨拶に行った。
 そこからお墓参りもその時させて頂いとったから判ったけども、でなかったらそれこそこれは、手の付けられないというか、いよいよ判らなかったでしょう。けども私が三十年前にお参りをお墓にしておったから判った。そしもう分りそうにないところまでつきとめさせて頂くという、一つの執念の様なものが、信心には必要だ。余りにも合楽の場合は、その辺があっさりし過ぎる、ね。
 諦めちゃならん、どこまでもそれを貫かなければいけない。それが実意丁寧神信心が日頃出来ておらなければ、ならここで言われる様に、御神願だよ、御神愛だよ、一切がそうだと言って、なら判らせて頂いただけでは、判っておるけれど、これが驚かずにおられようかと云う風に、慌てたり驚いたり致します。だからその内容として、実意丁寧神信心が、本当に出来ておらなければならないということです。
 もう本当に四十数年振りに会いましてね。本当に、もう手を握りあってから、懐しがり合った事でございましたけれども、まあ林田さんは林田さんなりに、何かそうして信仰をしておるようです。その信仰の眼目になるというところがです、金光教でいうならば、実意丁寧神信心と言う所。どこどこまでも、縁のある人達の御霊様やら、仏様というか、それを救って行くという、それに依って徳を受けて行く。
 またおかげが受けられるという風に教えを受けておるのじゃないでしょうか。なら金光教においても、実意丁寧神信心ということが言われる。それを段々判らせて頂くと、執念のことだよと、泉尾の先生がおっしゃるような、そういう執念のところまで行き届いていない。いうならば、実意丁寧神信心を、そこまで分っていない、また行じていないと言う事を、改めて分らせて頂きました。
   どうぞ。